山芳のパインアメ味を食べる
美貌や愛欲によって結ばれた結婚ほど、早く紛争を起こして失敗するものはない。結婚には、一定して変わることのないしっかりとした土台と、堅実にして慎重な行動が必要である。沸き立つような歓喜は、何の役にも立たない(モンテーニュ)
山芳のパインアメ味を食べる
今回は山芳のパインアメ味である。コンビニで見かけて気になった人も多いことだろう。
↑本家のパインアメとともに
↑食べかけです
ペヤングがチョコレート焼きそばを出したり、ガリガリ君のリッチナポリタン味があったり、最近は異色な味の組み合わせをしばしば見かけるが、この山芳のパインアメ味もその流れにあるのかもしれない。
もっとも山芳はこれまでも前衛的な味に挑戦してきた。同社の代表商品がわさビーフであることからして、独自路線を歩んでいることが明らかなわけだが、他にはタン塩味や明太マヨビーフ味があったりする。わさビーフもジャーキー味や男気わさビーフ、梅わさビーフといった派生商品がある。カルビーや湖池屋といったメジャー級に対抗して、ニッチマーケットをきっちり開拓してきた会社である。
その意味でパインアメ味は山芳の面目躍如のポテチといえるだろう。
山芳のチャレンジ精神もさることながら、パインアメの歴史もけっこう味わい深い。
パインアメの発売は1951年まで遡る。お値段は一粒一円だったとのこと。1951年頃はあんぱん一つの値段が10円だったというから、決して手の届かない値段ではなかったことがわかる。
パインアメを開発していた当時の日本は、戦後の傷跡が残っており、生のパイナップルはもちろん缶詰でさえも高級食品でした。そんな時"このパイン缶の美味しさをみんなが手軽に味わうことができたらどんなにすばらしいだろう"との思いからパインアメが誕生したのです。
(中略)
こだわりだしたら切りの無い先代の社長。"飴に穴を開けないと完成品じゃない"といって穴開きのパインアメの製作に取りかかりました。最初はなんと割り箸で円形のアメをつついて穴を開けていました。
もちろん今は自動ですが、当時はそれは大変な苦労をしたと聞いています。
第一号が皆様のお目にかかってから2年後の1953年(昭和28年)、ようやく自動キャンディ穴開け機が完成し、現在のパインアメの原型が完成しました。
製品開発の心意気がなんとも泣かせるではないか。バナナもそうだが、当時は輸入果物が高かった。なんせ1ドル360円だ。今日の3倍から4倍の為替レートなわけだから、輸入品の値段はどうしても高くなってしまうのである。
さて、肝心の味であるが、これがけっこう美味い。袋を開けた瞬間にパインの香りが広がった。味は台湾土産で有名なパイナップルケーキを彷彿とさせるが、パイナップルケーキよりは甘しょっぱい。口に入れた瞬間はパインアメ味が強く、その後をしょっぱさが追う。
話題先行のゲテモノ感あふれるポテチかと思いきや、パインアメとのコラボはしっかりとした土台のもと完璧にシンクロしていたのであった。
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